日本には、社会的に人を呼ぶ方法が山ほどある。
先生、社長、部長、課長、先輩、お客様…そして、話し方は敬語、謙遜語、タメ語などなど、
自分や相手の立場や状況によって変わる。
そんな器用に言語を使い分けるを自然に身につけてしまう文化を私はとても尊くと思う。
その中で生きてきた私は、その心地よさも感じる。
ただ、北米に来ると、
「私はSusanよ。あなたの名前は?」という会話の展開や、
英語での映画やドラマの中で登場人物みんなが
お互いをファーストネームで呼び合っているのを見ていると、
そのギャップには本当に驚く。
何だこのフレンドリーな感じは…と、距離の取り方に迷うことが私にはあった。
というのも、日本人がお互いをファーストネームで呼び合う場合は、
その人との距離が近いことを示す。
家族や兄弟、近しい友人同士。
なので、ファーストネームで呼び合外国の人々を見ていると
自然にこの人たちの関係が近いという印象を抱いてしまいがちだが、本当にそうなのか。
北米では知り合いでなくても、人々と気軽に話をする開けた文化があり、
Mr.やMs.をつけて呼ぶ場合もありながらも、多くの場合はファーストネームで呼び合う理由は、
オープンで良い関係を築こうという姿勢の表れである。
が、気を付けなければならないのは、この「気軽そうに見える感じ」は、
私たち日本人が考える関係の親しさとは一致しないということでる。
ファーストネームで呼び合うからといって、
「私たち日本人が思うファーストネームの関係」ではない。
この距離感を間違えると少しややこしいことになってしまうかもしれない。
北米では、関係を気づく入り口の敷居は低めに見えるものの、
何といっても個人主義な北米文化。たとえ家族や親しい友人でも、
個々の意見や考えを尊重するという事はとても大事なことで、
日本の感覚では意外にも感じる「踏み入らないゾーン」というものがある。
彼らの人間関係は、多くの点で共感・同意できない人同士でも、
それ以外の関わり合えるところでうまく関わっている印象を受ける。
特に都市部ではその傾向が強い。
これだけの文化、人種、宗教などなど、様々な背景を持つ人同士が、いつでもなんでも一緒に心地良く行動できるという事は簡単ではない。
そうはいっても、人との関りは良いものをもたらしてくれるものでもある。
そういう点では、北米の人は相手との良い距離を取るのが上手だな、と感じる。
そしてそんな感覚を得ることは、周囲との和を重んじる私たち日本人はむしろ得意分野なのではないだろうか。
一見するとフレンドリーさに戸惑うけれど、
無理に自分を変えて「私も同じようにしなきゃ」と思う必要はない。
むしろ、日本人が持っている「和を大切にする力」が役立つ場面は多いと感じる。
どうだろうか。
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